ふと思った平手友梨奈の事
今回は、映画を見てふと感じた「違和感?」のようなものを言語化して残したいと思ったので
題名にあるように、ふと思った平手友梨奈のことについて述べていきたいと思います。
一つ先に述べたいことがあります。
この場で述べていることは全て僕個人の意見であり、これが肯定されることも否定されることも両方あると思います。しかも、彼女たちの問題を全て知る由もない僕に判断する権利は無いし、彼女達のことは彼女達の問題であるので、
ここで書くのはあくまで僕の意見である、ということを念頭において読んでいただきたいです。
今回のブログの内容も「僕たちの嘘と真実」の内容のネタバレを含むのでその点はご了承ください。
(黒い羊、当時武道館の外で音漏れ勢の1人としてあの場にいましたが、あの曲が流れた瞬間の外の雰囲気、平手友梨奈の生声へのどよめき、終わった瞬間の拍手、音だけでも物凄いものを感じたあの時の黒い羊、実際に行われていたものを今回初めて見ましたが、想像以上でした。)
何に関して違和感を感じたのかと言うと
彼女にとって欅坂46とは結局なんだったのかな
ということです。
今回の映画は全てを語っていた訳ではなかったですが、真実の部分は多く語られていました。
特に残酷な真実に
平手友梨奈という人物がどれほど苦しみ
それを取り巻くメンバーたちが彼女を通じ、自らを通じ、欅坂46を通じ苦しんできたのか
その歴史のほんの少しだけ見れた気がしました。
ただ、なにかモヤモヤしたものが僕の中で映画を通じ、生まれてきました。
それは彼女にとって欅坂46はなんだったのだろうかな、と
元々彼女はアイドルになりたいわけではなく、自分を変えたい一心で坂道を登り始めた訳で、
欅坂46という異質ではありますが、アイドルという概念が根底にある存在を彼女はどう思っていたのかその点についての疑問が大きくなりました。
疑問を抱いた理由となる場面としては
①平手友梨奈が時折していた活動の放棄
言い方は悪いかもしれませんが、欅坂46としての活動はお金を頂く仕事であることは事実。
それなのに、自らの気持ちのまま活動の参加不参加を決定していたこと関してはどうだったのか、という点
②欅坂としてのパフォーマンスへの抵抗
これは主に東京ドーム公演の裏側でのことを挙げたいと思います。あの姿はどう言葉にしていいのかわからないです。残酷な現実、我々が望んでいる物をそれを遥か超える物を作り上げてきた彼女の影にはあの残酷なことが背景にあった。
それを知ることが出来たことは良かった、ただ、残酷だった。そんな中で彼女は欅坂として表現していくことにどう感じていたのか、という点
③メンバーの平手友梨奈への思い
各メンバーのインタビューが数多くありましたが、そこでも感じたのは平手友梨奈に反抗、または怒るなどといった思いを抱いたメンバーはいないのか、ということ。
良くファン界隈では平信という表現をよく用いることが多いですが、メンバーたちが1番平信であったのではないか、つまり、欅坂46を構成しているメンバーが特に平手友梨奈に固執していたのではないか、という点。
今挙げた3点に焦点を当て、考えていきたいと思います。
①自らの気持ちのままに活動の参加不参加を決定していたこと関してはどうだったのか、という点
正直、わかりません。
平手友梨奈という人物はメンバーも映画で述べていましたが、天才という表現されていたり、他者の感覚が当てはまりにくい人物であると認識してます。
他者の思いや、感じ方なんか正直わかるわけが無いし、それを自分の物差しで測って評価することはありえない、と僕自身考えています。
だからこそ、彼女が何故あの判断をしていたのか、
わからないんです。わかりたくもないし、わかる資格はないし、わかるわけが無いのです。
だからこそ、欅坂46を仕事として思っていたのかわからないけど、少なくとも他者と同じように仕事として捉えていた可能性は低いと思います。
自身の道を貫いていた。そう表現してもいいのかもしれません。
この点に関しては、わからない。それが僕なりの考えとしてまとめます。
②そんな中で彼女は欅坂として表現していくことにどう感じていたのか、という点
あの衝撃的なドーム公演の裏側
あの苦しみの叫びはなぜ発されたのか
「僕」と対峙していたからなのから
それとも、彼女の心、身体全てから発される拒絶の思いだったのか
これも憶測のみでしか語ることはできません。
欅坂46を通じて表現していく中で彼女は「欅坂のために」という言葉をよく残しており、
その思いは最後の1年間は大きかったのではないかと思います。彼女は自分のためにではなく、自分が尽くしたい「欅坂46」のために表現していたのかな、
③欅坂46を構成しているメンバーが特に平手友梨奈に固執していたのではないか、という点。
この点はこの映画を見てかなり明白に思えた点です。平手友梨奈は凄いです。それはファンだけではなく各著名人であったり、大きな影響がありましたが、それを1番近くで感じていたメンバーたちは我々が思い以上にその影響を受けていたのではないでしょうか?その影響を大きく受けていたからこそ、インタビューで多くあった「平手が」「平手を」「平手のために」のような思いがメンバーに強く根付いていたのではないかと感じました。
だからこそ、悪い方向に依存する形になってしまい、これまでのような経歴を経たのではないでしょうか。
思うのが、あの数のメンバーがいたのに誰も平手に何も反抗のようなものを示すメンバーはいなかったの?とこの何年間の間何度も感じてきました。
ただ、平手友梨奈の表現に対する考え、思い、姿勢映画だけが全てでは無いですし、我々が既に知っていること以外に様々なことがあると思います。
それを知っているが上に言えない。
もし、自分がメンバーと同じ立場なら言うことはできないかもしれない。と思う。
平手友梨奈とメンバーの仲には溝はなかったと思いますが、考え方、価値観には大きな溝があったと思います。
価値観が違いすぎた。のかな。
ここまで見てくださった方ありがとうございます。
正直、自分の書きたいこと、思っていること
書けた気がしません。
でも、皆さんもなにかをあの映画を通じて、これまでの欅坂を通じて感じた経験はあると思います。
僕もその1人です。
ただ、それがよく分からない
もしかしたら、メンバーを取り込んでいったよく分からないものと同じものなのかもしれない。
それだけ大きなものを欅坂46はメンバーを通じて、平手友梨奈を通じて作り上げてきたと終焉に向かう今、とても感じます。
平手友梨奈のことが好きで、辛い時期、嬉しい時期共にファンとして過ごしていたと思っています。
ただ、やはり彼女の本質的なところは分からない。
わかることはできない。
わかるはずがないと思います。
それがこのモヤモヤの正体なのかなと思います。
わからなかった、結局、最後まで
でも、別にそれはあまり気にしてないです。
平手友梨奈が我々に届けようとするもの
平手友梨奈が我々に届けてきたもの
それは変わりようのない素晴らしいものである事実がここに存在するから。
#僕たちの嘘と真実
読んでいただきありがとうございました。
感想頂けたら嬉しいです。