にっしのブログ

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「サイレントマジョリティー」について考察してみた

 

今回は愛してやまない欅坂46の代表曲「サイレントマジョリティー」の歌詞について自分なりに考察してみました。

これは先日ABC予想についての論文を発表した望月教授が以前、『サイレントマジョリティー」についてブログで書いていた、という記事を見かけ、僕も自分なりに「サイレントマジョリティー」の歌詞について考えてみようと思ったため、このように考えてみようと思いました。

実際に取り組む際に、望月教授は数学の考えを元に考察していたらしく、自分も何かを元にして考えていきたいと考え、今回は「アドラー心理学」という心理学の考えを元にして考察していきたいと思います。

 

 尚、自分自身文章を書く力が乏しいため不甲斐ない部分があるかもしれませんが、最後まで読んでいただけたら幸いです。

 

f:id:monogriri:20200412232452j:imageサイレントマジョリティーは欅坂46を知らなかった時の自分の中にも大きな印象がありました。)

 

ではやっていきたいと思います。

 

この「サイレントマジョリティー」が伝えようとしているこの曲のテーマのようなものとは、

〜自身の他者からの依存からの脱却、

     自身の「自立」を自身に促す曲〜

というものがこの曲のテーマだと考えます。

 

いきなりこれがテーマだ!と言われても分からないと思うので、順を追って説明します。

まず、今回の考察の元としている考えの「アドラー心理学」について自分なりに説明させていただきます。

アドラー心理学」とは基本的に自身の行動には必ずその行動を起こす理由があり、性格や未来、全てに関して自分自身で決定することのできる、という考えで、大きな目的の一つとして、「自立」というワードが重要視されます。

(このアドラー心理学についての説明は筆者独自の解釈なので、至らないところがありましたら、申し訳ございません。)

 

この考えを元にして考え、この曲は欅坂46の主人公である「僕」が僕自身に対して、他者からの自立

つまりこれは「僕」の夢、理想であり、

サイレントマジョリティー」とは主人公の夢を唄う曲になっているのではないかと推測します。

 

では、これから実際に歌詞の方に注目していきたいと思います。

『人が溢れた交差点をどこへ行く? 似たような服を着て、似たような表情で…』

この部分は主人公の悟りを表す情景だと考えます。ふとした瞬間に「自分のは何者なのか?」「今の自分って一体何?」といったような事に気づき、自分という存在が集合体の1つでしかない、例えば微生物の群体の中に意思もなく存在しているアメーバのような存在であることに気づくきっかけを表す

このサイレントマジョリティーという曲の序章を表現する部分と考えます。

 

『群れの中に紛れるように歩いている。誰かと違うことに何をためらうのだろう。』

自分の存在についての疑問が生じた主人公は、この場面で自らに問いかけをします。「自分って何なんだろうか?」「自分の個性は何?」と

少しずつ変化していきたい、と思うようになるが、その感情とは逆に「変わりたくない」という存在がいるから「ためらう」という言葉を使っていると推測します。これは変化するのか怖い、このままが楽だから、といったように自分の中にある戸惑いと向き合う必要性があると訴えてると考えます。

 

『先行く人が振り返り、列を乱すなと、ルールを説くけどその目は死んでいる。』

自分の価値というものに気づき、他者と同じような道を進むのではなく、自分自身で道を切り開き、自分の道を自ら創り進む、つまり初めに述べたように「自立」を目的として主人公は行動を始めたのだろうと思います。しかしそんな中で

他人からの否定的な視線、言葉の数々、これらを「列を乱すな」という表現で表してると考えます。しかし、この言葉を発した人々は自分の考えでこのような言葉を発してはいないと推測します。

「目は死んでいる」という表現によって、そんなのできるわけが無いと、周りと違う行動をするということに恐怖を抱いている、欅坂46の楽曲で例を例えるのなら、「黒い羊」の白い羊のままでいることに安堵感を抱いてる、という表現の方がわかりやすいかもしれません。この部分をこう解釈することで、欅坂の主人公「僕」が黒い羊になることは必然だったのかもしれません。

 

f:id:monogriri:20200509210012j:image(欅坂46初の紅白出場の際のサイレントマジョリティー、デビューしてまだ1年も経っていなかったのにあの凛々しい姿はただ格好良い、この一言に尽きると思います。)

 

『君は君らしく生きていく自由があるんだ、大人たちに支配されるな。初めからそう諦めてしまったら僕らは何のために生まれたのか。夢を見ることは時には孤独にもなるよ、誰もいない道を進むんだ。この世界は群れていても始まらない、YESでいいのか?サイレントマジョリティー 』

 

「どうありたいのか?」そう自らに問いかける主人公は「自立したい」これを夢、目標として自らの道を進もうとします。人と違う行動をする、いわば先程も述べたようにある見方をすれば「黒い羊」として行動していることも考えると、まわりと違う行動をする主人公は目障りな存在であるから、否定的な壁が多く立ちはだかる状況になるでしょう。

そんな状況の中、主人公は「夢を見ることは時には孤独にもなるよ、誰もいない道を進むんだ。」

この言葉はアドラー心理学でいうと「勇気づけ」というものであると考えます。

ある行動し、なにか壁にぶつかってしまった時にはアドラー心理学では「勇気づけ」ということをすべきだと考えられています。これは言葉そのまま行動に対し応援する、といったように勇気をつけさせるようなことを行うべきだとされています。これに従うと、サイレントマジョリティーの主人公の行っていることは、まさに「勇気づけ」であり、周りの否定的な壁という問題に対して、自身に対して応援をする、これを行うことで解決に向かおうとしていると考えます。そして、「自立」という大きな夢に向け、行動しづつける自分への応援歌がサイレントマジョリティーであると考えます。

 

 

以上のようにこの曲、サイレントマジョリティーでは一貫して主人公自身の「自立」という夢に向けての自らに向けた応援歌であると自分は考えます。

このテーマに挙げた「自立」というものは他人に任せるのではなく、自分自身で自身の価値というものを決定するものであると先程アドラー心理学の説明において書きました。これは「自分らしさ」というものを確立させるためには必要なものではないでしょうか?

「自分らしさ」という言葉に聞き覚えはありませんか?

サイレントマジョリティーの歌詞にもこの言葉あります。

欅坂46の楽曲「角を曲がる」では自分らしさとは何?ということを問いかけてます。

欅坂46東京ドーム公演のテーマは「be yourself ~自分らしく~」でした。

 

欅坂46は一貫して「自分らしさ」というものを表現してると自分自身考えてます。このことからサイレントマジョリティーのテーマだとする「自立」というものは欅坂46の楽曲の一貫したテーマの一つであるとも解釈できるのではないでしょうか?

欅坂46の楽曲を聞く世代の多くは10代20代といったような若い世代に多いと思います。この期間はその先の人生を構成するための多くを学ぶ期間であると思います。その時に学ぶべき大切なものの一つに自分という存在の確立のため、1人で道を切り開くために必要なこと、それは「自立」することでしょう。

この現代は技術の発展、進化、発見によって、個人の存在自体の尊重というものの重要性が更に増していくと考えます。だからこそ「自立」することへの重要性も共に増していくでしょう。だからこそ、このサイレントマジョリティーを初めとした欅坂46の楽曲という存在が、これから先の未来を創る私たちに向け、問いかけているのではないかと考えます。

「負けるな」という勇気づけと共に

 

以上、「サイレントマジョリティー」について考察してみました。不甲斐ない部分はあると思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

f:id:monogriri:20200510231703j:image(欅坂46サイレントマジョリティーと共に築いた欅坂という坂はこれからどんな坂道を創りあげていくのでしょうか。)