にっしのブログ

ブログ初心者モノグリセリドのブログです!

ふと思った平手友梨奈の事

 

今回は、映画を見てふと感じた「違和感?」のようなものを言語化して残したいと思ったので

題名にあるように、ふと思った平手友梨奈のことについて述べていきたいと思います。

 

一つ先に述べたいことがあります。

 

この場で述べていることは全て僕個人の意見であり、これが肯定されることも否定されることも両方あると思います。しかも、彼女たちの問題を全て知る由もない僕に判断する権利は無いし、彼女達のことは彼女達の問題であるので、

ここで書くのはあくまで僕の意見である、ということを念頭において読んでいただきたいです。

 

 

今回のブログの内容も「僕たちの嘘と真実」の内容のネタバレを含むのでその点はご了承ください。

 

 

 

 

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(黒い羊、当時武道館の外で音漏れ勢の1人としてあの場にいましたが、あの曲が流れた瞬間の外の雰囲気、平手友梨奈の生声へのどよめき、終わった瞬間の拍手、音だけでも物凄いものを感じたあの時の黒い羊、実際に行われていたものを今回初めて見ましたが、想像以上でした。)

 

 

 

何に関して違和感を感じたのかと言うと

彼女にとって欅坂46とは結局なんだったのかな

ということです。

 

今回の映画は全てを語っていた訳ではなかったですが、真実の部分は多く語られていました。

特に残酷な真実に

平手友梨奈という人物がどれほど苦しみ

それを取り巻くメンバーたちが彼女を通じ、自らを通じ、欅坂46を通じ苦しんできたのか

その歴史のほんの少しだけ見れた気がしました。

 

ただ、なにかモヤモヤしたものが僕の中で映画を通じ、生まれてきました。

それは彼女にとって欅坂46はなんだったのだろうかな、と

元々彼女はアイドルになりたいわけではなく、自分を変えたい一心で坂道を登り始めた訳で、

欅坂46という異質ではありますが、アイドルという概念が根底にある存在を彼女はどう思っていたのかその点についての疑問が大きくなりました。

 

疑問を抱いた理由となる場面としては

平手友梨奈が時折していた活動の放棄

言い方は悪いかもしれませんが、欅坂46としての活動はお金を頂く仕事であることは事実。

それなのに、自らの気持ちのまま活動の参加不参加を決定していたこと関してはどうだったのか、という点

②欅坂としてのパフォーマンスへの抵抗

これは主に東京ドーム公演の裏側でのことを挙げたいと思います。あの姿はどう言葉にしていいのかわからないです。残酷な現実、我々が望んでいる物をそれを遥か超える物を作り上げてきた彼女の影にはあの残酷なことが背景にあった。

それを知ることが出来たことは良かった、ただ、残酷だった。そんな中で彼女は欅坂として表現していくことにどう感じていたのか、という点

③メンバーの平手友梨奈への思い

各メンバーのインタビューが数多くありましたが、そこでも感じたのは平手友梨奈に反抗、または怒るなどといった思いを抱いたメンバーはいないのか、ということ。

良くファン界隈では平信という表現をよく用いることが多いですが、メンバーたちが1番平信であったのではないか、つまり、欅坂46を構成しているメンバーが特に平手友梨奈固執していたのではないか、という点。

 

 

今挙げた3点に焦点を当て、考えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

①自らの気持ちのままに活動の参加不参加を決定していたこと関してはどうだったのか、という点

 

正直、わかりません。

平手友梨奈という人物はメンバーも映画で述べていましたが、天才という表現されていたり、他者の感覚が当てはまりにくい人物であると認識してます。

他者の思いや、感じ方なんか正直わかるわけが無いし、それを自分の物差しで測って評価することはありえない、と僕自身考えています。

だからこそ、彼女が何故あの判断をしていたのか、

わからないんです。わかりたくもないし、わかる資格はないし、わかるわけが無いのです。

だからこそ、欅坂46を仕事として思っていたのかわからないけど、少なくとも他者と同じように仕事として捉えていた可能性は低いと思います。

自身の道を貫いていた。そう表現してもいいのかもしれません。

この点に関しては、わからない。それが僕なりの考えとしてまとめます。

 

 

 

 

②そんな中で彼女は欅坂として表現していくことにどう感じていたのか、という点

 

あの衝撃的なドーム公演の裏側

あの苦しみの叫びはなぜ発されたのか

「僕」と対峙していたからなのから

それとも、彼女の心、身体全てから発される拒絶の思いだったのか

これも憶測のみでしか語ることはできません。

欅坂46を通じて表現していく中で彼女は「欅坂のために」という言葉をよく残しており、

その思いは最後の1年間は大きかったのではないかと思います。彼女は自分のためにではなく、自分が尽くしたい「欅坂46」のために表現していたのかな、

 

 

 

 

欅坂46を構成しているメンバーが特に平手友梨奈固執していたのではないか、という点。

 

この点はこの映画を見てかなり明白に思えた点です。平手友梨奈は凄いです。それはファンだけではなく各著名人であったり、大きな影響がありましたが、それを1番近くで感じていたメンバーたちは我々が思い以上にその影響を受けていたのではないでしょうか?その影響を大きく受けていたからこそ、インタビューで多くあった「平手が」「平手を」「平手のために」のような思いがメンバーに強く根付いていたのではないかと感じました。

だからこそ、悪い方向に依存する形になってしまい、これまでのような経歴を経たのではないでしょうか。

思うのが、あの数のメンバーがいたのに誰も平手に何も反抗のようなものを示すメンバーはいなかったの?とこの何年間の間何度も感じてきました。

ただ、平手友梨奈の表現に対する考え、思い、姿勢映画だけが全てでは無いですし、我々が既に知っていること以外に様々なことがあると思います。

それを知っているが上に言えない。

もし、自分がメンバーと同じ立場なら言うことはできないかもしれない。と思う。

平手友梨奈とメンバーの仲には溝はなかったと思いますが、考え方、価値観には大きな溝があったと思います。

価値観が違いすぎた。のかな。

 

 

 

 

ここまで見てくださった方ありがとうございます。

正直、自分の書きたいこと、思っていること

書けた気がしません。

でも、皆さんもなにかをあの映画を通じて、これまでの欅坂を通じて感じた経験はあると思います。

僕もその1人です。

ただ、それがよく分からない

もしかしたら、メンバーを取り込んでいったよく分からないものと同じものなのかもしれない。

それだけ大きなものを欅坂46はメンバーを通じて、平手友梨奈を通じて作り上げてきたと終焉に向かう今、とても感じます。

 

平手友梨奈のことが好きで、辛い時期、嬉しい時期共にファンとして過ごしていたと思っています。

ただ、やはり彼女の本質的なところは分からない。

わかることはできない。

わかるはずがないと思います。

それがこのモヤモヤの正体なのかなと思います。

わからなかった、結局、最後まで

でも、別にそれはあまり気にしてないです。

 

 

 

 

平手友梨奈が我々に届けようとするもの

平手友梨奈が我々に届けてきたもの

 

それは変わりようのない素晴らしいものである事実がここに存在するから。

 

#僕たちの嘘と真実

 

 

読んでいただきありがとうございました。

感想頂けたら嬉しいです。

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僕の思った嘘と真実

 

今回は先程見てきた欅坂46ドキュメンタリー

「僕たちの嘘と真実」の感想を述べていきたいと思います。

(注)このブログには映画のネタバレと取れる部分を多く書くのでその点がご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず一言述べろと言われたら、平手友梨奈という言葉が出てくるのではないかと思う。

僕自身がずっと追いかけ続け、憧れ、救われ、支えとなっていた彼女の知ることの出来なかった場面を知ることが出来た。

ただ、彼女はもう既に欅坂を離れているし、欅坂は平手友梨奈だけではないから彼女の名を安易に出すことは良くないのではとも思う

ただ、彼女は凄かった

この事実には変わりないと思うから彼女の名を感想の1つとして挙げたい。

 

どう感想を述べたらいいのだろうか。

複雑。まとまらない

だってあの一瞬のように感じたこれまでの欅坂の歴史は5年も続いている

そう簡単に言葉が出てくるわけが無い。

 

よし書こう

 

 

 

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(サイレントマジョリティー、この曲が欅坂46の始まりだったのは運命だったのか、宿命だったのか。)

 

 

今回は①僕の思った嘘と真実②平手友梨奈③ライブパフォーマンス④欅坂46

この4点に着目して書いていきます。

 

①僕の思った嘘と真実

 

今回の映画のタイトルが「僕たちの嘘と真実」とあるようにどの点にが嘘で、どの点が真実であるのか僕なりの感想を書きたいと思います。

これは、世間などか抱く「欅坂46」へのイメージと本人たちが抱く「欅坂46」へのイメージの対比表現

であったと僕は感じました。

世間体からは、暗い、笑わない、仲が悪い。などと言ったマイナスなイメージを抱かれているのが1ファンである僕は長年感じていました。

その点に関してはこれまでのインタビューや今回の映画を初め、各メンバーがその点についてよく触れていました。

その点を具体的にどのような事が世間体の抱いている「嘘」で彼女たちが本当はどんな人物達であるのかという「真実」の対比のためにあのような題であったと僕なりに思いました。

 

真実にあったのは、彼女たちの繊細でかつメンバー全員がメンバー全員事が大好きで、一人一人が支えあっていた私たちの知っていた欅坂46でした。

 

ただ、思ったのが

平手友梨奈

 

彼女は思う以上に苦しんでいた事

それが事実であったこと

その点についての真実はあまりにも残酷でした。

大きすぎます。大きすぎた。

僕たちには苦しんでいる姿は見せてこなかった彼女

でも裏ではほんとに苦しんでいた

その姿を見るのは辛かった

 

でもそれも真実でした。

 

 

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(この時、我々が思い以上に彼女が苦しんでいたこと、それを知ってから見るのでは価値が違いすぎる。欅坂46のライブで平手友梨奈が最後にこの曲を残したのは伝説なんだと思う。)

 

 

平手友梨奈

 

この映画の感想を述べる上で彼女の事は語るべきだと思います。それは彼女のことが好きだからということだけではなく、欅坂46の「僕」の背負うものを同じくらい背負ってきたのは彼女だったから。

 

 

正直、辛いです。

彼女のことは大好きです。それは変わらない。

彼女のパフォーマンス

彼女の考え

憧れであり、守りたいような妹のようで、何度も消えてしまいたい時寄り添ってくれた

そんな彼女の欅坂での記録は思った以上に苦しいものだったのかなって思った。

マイナスなことばかりではなかった思いますけど、

彼女が背負ってきたものは凄すぎた

映画中何度も平手友梨奈は涙していた。

嫌がっていた。限界だった。

その真実はあまりにも残酷でした。

ただ、その背景があるからこそ平手友梨奈が「僕」の具現者として存在していたのではないかと感じました。

「ガラスを割れ!」

平手友梨奈が舞台から落ちたあのパフォーマンス

映像として初めて見ましたが、凄すぎた。あれが映像として残っていることが奇跡に思う。

ただ、その後の落ちる瞬間の音

残酷なんだよな、現実は

 

「不協和音」「角を曲がる」

映像化されているこの二作品

ただ、その前後の背景を知ると、そのパフォーマンスの見え方、感じ方が変化する。

本当に彼女には「ありがとう、ありがとう」と何度も伝えたい。平手友梨奈

 

「黒い羊」

欅坂46として平手友梨奈が最後に残したセンター曲

欅坂46最高傑作だと僕は思っています。

その、最初で最後のパフォーマンス、武道館、、

外にいることしか出来なかったあの瞬間

あの舞台で何が起きていたのか、見た瞬間

 

そこには「僕」がいた。

何度も何度も何人もの人を救い続けた僕の姿が

ただ、苦しんでいた

諸刃の剣のような繊細でボロボロな

ただ、涙が流れた。

 

 

何度も何度も思うし、この映画を見て尚更思うのが平手友梨奈が欅坂に存在した奇跡とその一瞬に立ち会えた事をもっともっと噛み締めたいと思った。

 

 

平手友梨奈欅坂46を去った理由も分かった気がする。いや、それが鮮明になった思う。

彼女は耐えられなくなったから去った訳ではないと思う。嫌いになった訳でもない思う。

彼女は成長したのだと思う。

だからこそ、「僕」と別れを告げたのだと思う。

それが解釈としてのひとつの答えだと思う。

 

このことが鮮明になった

それだけでも映画を見たかいがあった。

理解出来て良かった。

 

でも、認めたくないのが1つ

自分が追いかけていた。救われていた。憧れていた。大好きで大好きでしょうがない

欅坂46平手友梨奈

 

平手友梨奈は伝説になってしまった。

 

 

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(印象的だった過去の彼女、根本的なところは変わってないと思うけど、予告編であったあのシーン、「来ますかね?そんな日が」来たのかな、友梨奈ちゃんが納得した日が)

 

 

 

 

③ライブパフォーマンス

 

この映画のすごい点は欅坂46のパフォーマンスが数多く登場してくる事だと思います。

これまで坂道のドキュメンタリーは全て見てきましたが、ここまでパフォーマンスが登場してくるのは初めてでした。

欅坂といえばパフォーマンス

彼女たちは何度も「作品を届けたい」と言い続けてきた。その言葉には呪いのように感じてしまうこともただありました。

でも、不器用な彼女たちのその瞬間を、ありのままを表してきたのはパフォーマンス

だからこそ、多く登場したのだと思います。

 

 

凄かった。

パフォーマンス凄かった。

 

何度も思う。何故もっと世間に、多くの人にあの作品たちを届けることが出来ていないのか

悔やむ、ただ悔やむ

 

でも、そう簡単に会えても欅坂では無い気がする

「僕」に導かれるように出会う

それも欅坂なのかもしれないなって

 

欅坂のパフォーマンスの中で、一人異質だった

平手友梨奈

欅坂=平手友梨奈という表現は好きじゃない

「僕」=平手友梨奈という方が合ってると思う。

 

凄かったよ。欅坂46のパフォーマンス

何度思うよ、これからも先も

 

 

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(初日だったので鮮明に覚えてる、不協和音の封印が解かれた瞬間の地響き、唸り、どよめき、衝撃)

 

 

 

 

欅坂46

 

この映画だけで欅坂46を語るのは安易だと思う。

だって5年間全てを語るのに2時間は短いよ

あと22時間くらいやってくれw

映画を通じての思いとしては平手友梨奈欅坂46は表裏一体な存在だったのかなと。一言残したい。

 

 

 

 

 

長く映画の感想を述べてきました。

ここまで読んで下さった方々ありがとうございます

 

 

彼女、平手友梨奈はもう既に欅坂を離れ、

欅坂46もその歩みをもうすぐ止めようとしている。

寂しいな、

 

ただ、最近思うのは僕も成長したのかなと

「僕」と別れる時が来たのではないか、と

この点は僕個人のことですが、その時が来たのではないかと薄々気づき始めたこの頃

 

永遠よりも長い一瞬か

 

その通りなのかもしれない。な、

 

 

最後に一言

 

いい映画でした。

欅坂46大好きです。

平手友梨奈ちゃんのことが大好きです。

メンバー、OGみんな大好きです。

 

ありがとう

#僕たちの嘘と真実

 

 

(感想頂けたら嬉しいです)

 

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欅坂46

 

今、この日、この気持ち、この瞬間

 

自分の言葉を残しておかないと後々後悔すると思い、今こうしてブログを書いてます。

その分言葉が足りない部分は出てしまうと思いますが、それもその時の気持ちの動揺のありのままだと思うので読んでいただけたらありがたいです。

 

本日、7月16日

欅坂46はグループ休止を発表しました

 

正確にはグループの名前を改名し、10月の欅坂46ラストライブにより正式に改名するというものでした

 

驚きました、そして悲しくなりました、寂しくなりました、それが率直な感想でした。

 

改名すること

 

メンバーも言っていましたが今まで築いたものを全て手放し、リスタートをすると

リスタート、いいと思います。

欅坂46はかなり苦しい時期をこの長い時期過ごしてきたと思います。

だからこそ、新たなるスタートを切るためにも

その一つの方法として改名すること、前向きな方向転換だと思います。

 

でも、寂しいんですよ、

 

僕は平手友梨奈が大好きです

欅坂46を大好きになったきっかけも平手友梨奈さんです。

彼女と欅坂46を知ったきっかけは有明ワンマンライブでした。

あのライブでの「有明コロシアムかかってこい」の一言、渋谷からPARCOが消えた日の平手友梨奈、そして、サイレントマジョリティーの凛々しいメンバーの姿

あの時の驚きと、どよめきと、興奮、

一瞬で虜になりました

その時までアイドルというものは興味が全くありませんでした

でも、彼女たちの輝きは自然に応援したいと思った、思うのは必然だったと思います

そうして欅坂46ファンになって今年で4年目

迎えた休止の時

 

やっぱり、嫌だ

欅坂46という名前がなくなってしまう

悲しいよ、寂しいよ

 

平手友梨奈が愛した、存在した、残した

欅坂という名前が無くなるのが辛い

 

でもそれ以上に辛い理由

それは欅坂の主人公「僕」に会えなくなること

 

欅坂46の楽曲には一貫して「僕」という主人公がいることはファンの中でも有名なこと

その姿はまるで平手友梨奈をそのまま写鏡にしたような存在でした。

「僕」が嬉しくなったり、苦しんだり、もがいたり、必死になったり、

それをすべで注ぎ、捧げ、表現する平手友梨奈欅坂46

その姿を勝手ながら自分の姿を重ねていました

高校自体、人と馴染めず、変わり者とも言われ、同調するもの難しく、家庭のなかでも内部崩壊、

自分ながら人とは何倍も苦しい高校時代、青春をすごしてきたと思います

 

命の選択、なかった訳では無い

 

でも、僕はこうして一人の人間として、成人を迎えることも出来た。

それは「僕」のおかげ

欅坂46のおかげ

平手友梨奈おかげ

 

「僕」は楽曲のなかで「自分らしさ」というメッセージも伝えてきたと考えています

 

「自分らしさ」今の僕の座右の銘です

 

僕の大切な礎、道標になった「僕」

 

 

大切なパートナーでした

 

 

その存在と別れを迎える瞬間が来てしまいました

 

嫌だ、でも

前を向かなきゃ

 

それも欅坂46と共に学んだ

 

サイレントマジョリティーで「自分らしさ」を訴え、幸せや別れ、葛藤に葛藤を繰り返し、

「自分らしさ」を貫くことの難しさとも向き合ってきた

 

そんな「僕」の最後の物語

 

誰がその鐘を鳴らすのか

 

 

「僕」は最後どんな背中で旅立つのか、未来に進むのか、選択をするのか

 

最後までついて行く、応援する

 

そして、勇気をもらう

 

 

そう、

 

欅坂46には

平手友梨奈には

「僕」には

今までたくさんの勇気を貰ってきた

勇気づけられてきた

 

だから今の僕がいる

 

 

欅坂46はなくなる

 

でも存在した、残した過去は変わらない

 

見に染み込んだ「自分らしさ」は消えることは無い

これからも「僕」と共に歩むと思う

 

欅坂46

 

その儚い存在を応援できたこの3年半

 

最高でした、幸せでした、勇気を貰いました

 

ありがとうf:id:monogriri:20200717000332j:image

 

「サイレントマジョリティー」について考察してみた

 

今回は愛してやまない欅坂46の代表曲「サイレントマジョリティー」の歌詞について自分なりに考察してみました。

これは先日ABC予想についての論文を発表した望月教授が以前、『サイレントマジョリティー」についてブログで書いていた、という記事を見かけ、僕も自分なりに「サイレントマジョリティー」の歌詞について考えてみようと思ったため、このように考えてみようと思いました。

実際に取り組む際に、望月教授は数学の考えを元に考察していたらしく、自分も何かを元にして考えていきたいと考え、今回は「アドラー心理学」という心理学の考えを元にして考察していきたいと思います。

 

 尚、自分自身文章を書く力が乏しいため不甲斐ない部分があるかもしれませんが、最後まで読んでいただけたら幸いです。

 

f:id:monogriri:20200412232452j:imageサイレントマジョリティーは欅坂46を知らなかった時の自分の中にも大きな印象がありました。)

 

ではやっていきたいと思います。

 

この「サイレントマジョリティー」が伝えようとしているこの曲のテーマのようなものとは、

〜自身の他者からの依存からの脱却、

     自身の「自立」を自身に促す曲〜

というものがこの曲のテーマだと考えます。

 

いきなりこれがテーマだ!と言われても分からないと思うので、順を追って説明します。

まず、今回の考察の元としている考えの「アドラー心理学」について自分なりに説明させていただきます。

アドラー心理学」とは基本的に自身の行動には必ずその行動を起こす理由があり、性格や未来、全てに関して自分自身で決定することのできる、という考えで、大きな目的の一つとして、「自立」というワードが重要視されます。

(このアドラー心理学についての説明は筆者独自の解釈なので、至らないところがありましたら、申し訳ございません。)

 

この考えを元にして考え、この曲は欅坂46の主人公である「僕」が僕自身に対して、他者からの自立

つまりこれは「僕」の夢、理想であり、

サイレントマジョリティー」とは主人公の夢を唄う曲になっているのではないかと推測します。

 

では、これから実際に歌詞の方に注目していきたいと思います。

『人が溢れた交差点をどこへ行く? 似たような服を着て、似たような表情で…』

この部分は主人公の悟りを表す情景だと考えます。ふとした瞬間に「自分のは何者なのか?」「今の自分って一体何?」といったような事に気づき、自分という存在が集合体の1つでしかない、例えば微生物の群体の中に意思もなく存在しているアメーバのような存在であることに気づくきっかけを表す

このサイレントマジョリティーという曲の序章を表現する部分と考えます。

 

『群れの中に紛れるように歩いている。誰かと違うことに何をためらうのだろう。』

自分の存在についての疑問が生じた主人公は、この場面で自らに問いかけをします。「自分って何なんだろうか?」「自分の個性は何?」と

少しずつ変化していきたい、と思うようになるが、その感情とは逆に「変わりたくない」という存在がいるから「ためらう」という言葉を使っていると推測します。これは変化するのか怖い、このままが楽だから、といったように自分の中にある戸惑いと向き合う必要性があると訴えてると考えます。

 

『先行く人が振り返り、列を乱すなと、ルールを説くけどその目は死んでいる。』

自分の価値というものに気づき、他者と同じような道を進むのではなく、自分自身で道を切り開き、自分の道を自ら創り進む、つまり初めに述べたように「自立」を目的として主人公は行動を始めたのだろうと思います。しかしそんな中で

他人からの否定的な視線、言葉の数々、これらを「列を乱すな」という表現で表してると考えます。しかし、この言葉を発した人々は自分の考えでこのような言葉を発してはいないと推測します。

「目は死んでいる」という表現によって、そんなのできるわけが無いと、周りと違う行動をするということに恐怖を抱いている、欅坂46の楽曲で例を例えるのなら、「黒い羊」の白い羊のままでいることに安堵感を抱いてる、という表現の方がわかりやすいかもしれません。この部分をこう解釈することで、欅坂の主人公「僕」が黒い羊になることは必然だったのかもしれません。

 

f:id:monogriri:20200509210012j:image(欅坂46初の紅白出場の際のサイレントマジョリティー、デビューしてまだ1年も経っていなかったのにあの凛々しい姿はただ格好良い、この一言に尽きると思います。)

 

『君は君らしく生きていく自由があるんだ、大人たちに支配されるな。初めからそう諦めてしまったら僕らは何のために生まれたのか。夢を見ることは時には孤独にもなるよ、誰もいない道を進むんだ。この世界は群れていても始まらない、YESでいいのか?サイレントマジョリティー 』

 

「どうありたいのか?」そう自らに問いかける主人公は「自立したい」これを夢、目標として自らの道を進もうとします。人と違う行動をする、いわば先程も述べたようにある見方をすれば「黒い羊」として行動していることも考えると、まわりと違う行動をする主人公は目障りな存在であるから、否定的な壁が多く立ちはだかる状況になるでしょう。

そんな状況の中、主人公は「夢を見ることは時には孤独にもなるよ、誰もいない道を進むんだ。」

この言葉はアドラー心理学でいうと「勇気づけ」というものであると考えます。

ある行動し、なにか壁にぶつかってしまった時にはアドラー心理学では「勇気づけ」ということをすべきだと考えられています。これは言葉そのまま行動に対し応援する、といったように勇気をつけさせるようなことを行うべきだとされています。これに従うと、サイレントマジョリティーの主人公の行っていることは、まさに「勇気づけ」であり、周りの否定的な壁という問題に対して、自身に対して応援をする、これを行うことで解決に向かおうとしていると考えます。そして、「自立」という大きな夢に向け、行動しづつける自分への応援歌がサイレントマジョリティーであると考えます。

 

 

以上のようにこの曲、サイレントマジョリティーでは一貫して主人公自身の「自立」という夢に向けての自らに向けた応援歌であると自分は考えます。

このテーマに挙げた「自立」というものは他人に任せるのではなく、自分自身で自身の価値というものを決定するものであると先程アドラー心理学の説明において書きました。これは「自分らしさ」というものを確立させるためには必要なものではないでしょうか?

「自分らしさ」という言葉に聞き覚えはありませんか?

サイレントマジョリティーの歌詞にもこの言葉あります。

欅坂46の楽曲「角を曲がる」では自分らしさとは何?ということを問いかけてます。

欅坂46東京ドーム公演のテーマは「be yourself ~自分らしく~」でした。

 

欅坂46は一貫して「自分らしさ」というものを表現してると自分自身考えてます。このことからサイレントマジョリティーのテーマだとする「自立」というものは欅坂46の楽曲の一貫したテーマの一つであるとも解釈できるのではないでしょうか?

欅坂46の楽曲を聞く世代の多くは10代20代といったような若い世代に多いと思います。この期間はその先の人生を構成するための多くを学ぶ期間であると思います。その時に学ぶべき大切なものの一つに自分という存在の確立のため、1人で道を切り開くために必要なこと、それは「自立」することでしょう。

この現代は技術の発展、進化、発見によって、個人の存在自体の尊重というものの重要性が更に増していくと考えます。だからこそ「自立」することへの重要性も共に増していくでしょう。だからこそ、このサイレントマジョリティーを初めとした欅坂46の楽曲という存在が、これから先の未来を創る私たちに向け、問いかけているのではないかと考えます。

「負けるな」という勇気づけと共に

 

以上、「サイレントマジョリティー」について考察してみました。不甲斐ない部分はあると思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

f:id:monogriri:20200510231703j:image(欅坂46サイレントマジョリティーと共に築いた欅坂という坂はこれからどんな坂道を創りあげていくのでしょうか。)